映画

ホラーよりも怖い!映画「ザ・サークル」

2018-01-10

 

非常に怖い映画です!

一大センセーションを巻き起こしたという同名の全米ベストセラー本の映画化が本作。グーグルやアマゾン、Apple、Facebook等の企業と重なる、架空の「サークル」という巨大インターネット企業に、主人公メイ演じるエマ・ワトソンが入社するところからストーリーが始まります。
時代の先端をゆく世界No.1企業に入社でき、主人公も両親も当初は大喜び。

 

この企業<サークル>のCEO ペイリー(トム・ハンクス)が掲げている理想というのが「全人類、全ての人達が皆オープンに、包み隠さず繋がり合い、共有する社会。
いつでもどこでも繋がり合い、互いの経験をシェアすることで、刺激的な毎日を送る事が出来る」というもの。
サークルが掲げる「全人類透明化」は、「見られている」という意識が、「人を正しい方向へと向かわせる」というのです。
ペイリーはSNSによってテロや犯罪を撲滅させようとしているとして、あくまでその理想の根底にあるのは「善意」であるかのよう。
しかしストーリーが進むにつれて、メイはサークルの欠陥に気付きはじめる‥。

 

 

これはあくまでも私の個人的な意見なのですが、最初、主人公を演じているエマ・ワトソンが、どうしてもこの映画の世界観に馴染んでいないような気がしていました。
コールセンターで働いている姿や、汚い車を運転していたり、冴えない状況を演じているのですが、どうしてもそれが嘘っぽく感じてしまって‥。
ヨレっとしたTシャツとジーンズを履いていても、どこか履かされている感が中々ぬぐえず。
どんな格好をしても隠しきれない、彼女の綺麗な顔立ちや、育ちの良さや、品といったものが、本作のキャラクターやストーリーをどこか邪魔しているように私には感じられ、このキャラクターは彼女じゃなくて他の女優さんでも良かったのでは‥??という思いも、鑑賞しながら少しよぎっていました。

 

ですが、オフィシャルHPを観て、なるほど!と思いました。
それは、自身もTwitterで全世界に2500万人のフォロワーを持ち、自らの信条をシェアするエマちゃんと、自分の24時間をSNSでシェアする劇中のメイというキャラクターのイメージが、重なっているという点において、リアリティーを与えている、ということ。
確かにエマ・ワトソンというブランド・シンボルは、『「見られている」という意識が、模範的なイメージであろうとする』、という劇中の言葉とも重なってゆきます。
 

 

最初は、サークルの在り方に躊躇していた主人公メイも、次第に雰囲気にのまれ、「全てを知る自分」そして「見られている自分」「共有する自分」「SNSによって繋がっている関係性」が普通になってゆきます。
一旦はそこから逃れようとしますが、次第に彼女は逃れなくなってゆく‥。
この「逃れられない」というのは、決してサークルのシステム的に、ではなく、長い間親しんで来たSNSでの繋がり、管理される事(守られる事)、見られる事(愛される事)に対する「快感」や「依存症」から次第に逃れられなくなってゆく、その姿に、思わずぞっとしてしまいました。

 

劇中に「すべてを知る事は良い事だ」というセリフが出てくるのですが、果たしてそうだろうか‥?という疑問符も浮かんできます。
ここでいう「すべて」は、どんなにSNSで繋がったとしても、決して「すべて」にはなり得ないという事実が、どこかゴッソリと抜け落ちている気がします。
「善意」という仮面の奥にある、人や環境を「コントロールしたい」「力を持ちたい」という人間の欲望が、しっかりと浮き彫りになっているような気がしました。

 

これは物語ですが、ここで描かれているのは、まるで私たちの生活と地続きにある、とても身近な世界観でした。
決して人ごとではなく、何となく感じていたけど、目先の利便性と引き換えに、何となく「なかったこと」にして、考えないようにしてきたことたち。
この映画を観て、普段使っているSNSやインターネットを介したサービスによって得ているもの、失っているもの、そして今後どのように関わってゆきたいのかについて、改めて深く考えさせられてしまいました。
日常生活のいくつかの選択肢を変えたくなってしまう、そんな映画だと思います。

 

 

 


ザ・サークル
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