ドキュメンタリー

ドキュメンタリー映画「アラヤシキの住人たち」に見る共生の形

2015-09-03

随分昔に見た、「ナージャの村」というドキュメンタリーは、私のハートのとても深いところに、いつまでも残っている特別な作品です。それはチェルノブイリ原発事故後、退去命令を国から出されたにも関わらず、汚染地域から出て行かず暮らし続けている人々の生活を静かに撮った映像でした。

生まれ育った土地から離れない人々の思い、放射能で汚染されているという土地では、それでも以前と変わらず、春が来れば花は咲き、野菜は育つということ。正しさや間違いから離れた視点で切り取られたその景色は、言葉では言い表せない想いを私の胸に残し、それは時間が経った後でも、不思議とそばにあり続けていました。

 

 

その「ナージャの村」の本橋成一監督の新しいドキュメンタリー映画「アラヤシキの住人達」を今回鑑賞しました。上映していたのは、監督自身がオーナーを務める映画館「ポレポレ東中野」。このポレポレは、スワヒリ語で ”ゆっくり、ゆっくり”という意味だそうです。静かに、そして優しく、長野の美しい自然の中にあるユニークな共働学舎を見つめている視線は近すぎず、離れすぎず、多様な生の豊かさを捉えていました。

共働学舎は、本橋成一監督の母校である自由学園の元教師である宮嶋眞一郎氏が設立したもので、農業、酪農、工芸などを生活の基礎とした共同体として、いまも各地に根をおろしているそうです。

 

本橋監督は写真家としても活動しているのですが、世界中を旅するようになって、「世界はひとつ、人類はみな兄弟」ではなく「世界はたくさん、人類はみな他人」なのではないかと感じたそうです。世界には、自分とは違った多様な人達が存在しているということ、そして自分の考えを他人に押し付けないことの大切さ。オフィシャルHPで監督は下記のように語っていました。

 

俺はピーマン嫌いだけどお前が好きなのは認めるよ、と。 それが真木共働学舎には当たり前にあるんです。

 

作品を通して、監督は”正解”や”答え”を提示するわけでも無く、また登場する住人達へのインタビューも無く、ただただ、そこで起きている事に美を見出し、優しく紡がれた映像たち。

 

食べ物を育て

料理を作り

共に食べ

祈り

歌い

出て行く住人もいれば

戻って来る住人も居る。

異なる世代

異なるキャラクター

異なる意見を持つ人達が共に暮らし、働き、学び

関わり続けるという事。

その人がその人であるという事。

そして 虫達が鳴き

風が吹き花が舞い

静かに雪が降り

犬が生き

ヤギも子を産み

朝が来て夜が来る。

動物が人に寄り添い

人が動物に心を寄せ

四季はめぐる。

 

それら全てがメッセージそのものであるように感じられました。共に生きるという事、そして既に私たちは生きているという事。沢山の命の輝きと、余白のある、とてもとても温かい作品でした。

 


*今回見たドキュメンタリーには、聴覚に障害のある方々にも楽しんでもらえるようにと、日本語の字幕が付いていたのですが、その文字が作る、もうひとつの空間が、作品に更なる奥行きを出していてとても味わい深かったです。

 

 

 

アラヤシキの住人たち
本橋成一
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