映画「ララランド」を観て、「この監督は一体誰!?」と興奮してしまいました。
若干32歳で、あんな作品を撮ってしまうデイミアン・チャゼル監督って。。。!
先日のアカデミー賞では、史上最年少監督賞にも輝いたデイミアン・チャゼル監督。
その底知れぬ才能の豊かさに、ちょっと怖さも感じつつ、これからの作品が楽しみすぎます。
映画を志す前は、音楽をやっていたそうですが、
ある時点で自分の才能の限界を感じ、進路変更をしたそうです。
その音楽を志していた頃の監督自身の経験を元にした映画が、彼の第一作品「セッション」。
この作品が出展先の映画祭で目に止まり、注目される様になったそうです。
というわけで前置きが長くなってしまいましたが、
遅ればせながら今回Netflixにて鑑賞しました。
名門音楽学校に通うドラマーの生徒と、鬼教師の師弟関係を密に描いてゆくのですが、
そのあまりの密な関係に、「ひぃ〜」(涙)と何度もなってしまいました。
ある意味閉鎖的な「学校」という塀の中で、
いつか自分もミュージシャンとして成功したいと夢を見ている希望を抱いている生徒たち。
しかし自身の音楽的評価は、「先生」に依存し、
罵声を浴びせられ続け、生徒たちは恐れ、顔はこわばり、次第に心を病んでゆく生徒も。
こんな風に熱い師弟関係を持った事の無い私には、
遠い国のお話かな、と最初は距離を持ってみていたのですが、
でも、よくよく考えてみれば、私の中にも、誰の中にも眠っているだろう、「狂気の欠片」が
そこにはあるように感じました。
この映画の関係は、教師と生徒、という関係でしたが、
これは恐らく、恋人関係でも親子関係でも、起こりえることだろうなと思いました。
限られた環境の中、孤独の中、自分の存在価値を、特定の誰かや関係性に求めてしまうことによる
バランスを欠いた関係。
しかしそこに生まれる独特の「興奮」がある。
無くなってしまうと、淋しく、しがみつこうとする、執着する。
決して対等な、決して健康的な関係ではない。
しかし、その間柄でしか得られない「何か」がある。
麻薬の様な、他では得られない、「何か」。
痛めつけられても、罵声を浴びせられても、嫌われても
主人公が求めていたものは、もしかしたら「生きている実感」だったのかもしれません。
主人公の家族は、音楽をしている者が誰もおらず、
彼の好きな事や、彼の情熱を傾けてる事を真に理解してくれる人はいませんでした。
自分にも自信が持てずにいた彼を初めて「発見」したのは、
そして「評価」してくれたのは、鬼教師だったのかもしれません。
ホント鬼にしか見えない‥ヒー!(涙)
完璧な演奏を求められて手から血を出しながら、
苦しそうに叩き付けるドラム。
交通事故にもあってボロボロになっても、
反射的に向かう先は教師のいるドラムの場所。
そこでしか彼が得られなかった、「何か」が、彼を狂わせ、そして怪しく輝く。
「愛されたい」「評価されたい」「成功したい」
最後の圧巻の演奏シーンは
個人的には、正直「もう勘弁してー!」ってくらいで目を背けたくなってしまいましたが、
その関係性に対して、良い悪いの判断をしないまま
映画を終わらせた監督には「さすが!」でした。
人生に1度観てみるのには良質の作品だと思いますが、
残念ながら私にとってはもう一度観たい、楽しい映画ではありませんでした。
しかし、これが一作目だなんて。。。
そして2作目があの「ララランド」だなんて。
監督の底知れぬ才能を見せつけられたような気がします!